レイアについて色々書く。
『最後のジェダイ』と『スカイウォーカーの夜明け』ではなかなか重要なセリフが飛び出したのだが、その中でもここで振り返りたいのは
「失敗は最高の師」
「必要なものは全てある」
「本当の自分を恐れないで」
とこの三つ。
特に面白いのが「必要なものは全てある」だろう。これは『最後のジェダイ』ではヨーダとレイア、さらに『スカイウォーカーの夜明け』でもルークが全く同じセリフを口にしている。
一見、レイに向けられた言葉に見えるのだが、実はレイアの場合は「自分に向けて言った」と解釈しても通じるのだ。
つまり…
昔に頓挫したジェダイの道だが、ルークが去った今、誰かが若きジェダイ見習いを導かなくてはいけない。これは自分の使命だ。再びジェダイの道に進もう。
と、レイアが決断した瞬間ともとれるのだ。少なくとも今はもう『スカイウォーカーの夜明け』の内容が確定したわけだし、このようにこじつけても違和感はない!

マーク・ハミルによると、ルーカス案のEP9では「ルークがレイアにジェダイの修行をする」(いつの案かは不明)ものだったとか、あるいは去年明かされたルーカスのプランは「レイアが選ばれし者」としてエンディングを迎える、etc。色々関連付けられるものもあるだろう。
意外とTROSをレイア視点で捉えてもなかなか面白いんだよね。最近そういうことに気付いたので、この記事では色々紹介したい。
失敗は最高の師
前作にてヨーダが残した「失敗は最高の師」は含蓄に富んだ言葉だ。これはもちろんルークに向けて言ったものなのだが、考えようによってはTROSのレイアにも当てはまる。
昔、ベンの先行きを案じ、良かれと思ってしたことがかえって息子を遠ざけることにつながってしまう。ベンは「両親に疎んじられている」と感じたのだ。息子のことはルークに託さず、自ら対峙すべきことだったのか?おそらくずっと自問自答していることだろう。答えは出ない。
だが、ひとつだけはっきりしていることがある。自分の前に突如現れた少女レイ。この子だけは絶対に離さない。二度とベンの過ちは繰り返さない。何があっても絶対に。レイアの心の内はすでに決まっていた。
だからこそレイが出ていこうとしたとき、レイアはそれに反対したのだ。この子はまだ訓練を終えていない。まだ学ぶべきことがある。自分も伝えるべきことが残っている。そしてなにより、愛する者が旅立つのをただ後ろで見送るだけなんて、そんなのレイアにはもう無理だった。
それでもレイの決心は揺るぐことはない。
一度は息子を失い、今度は娘が自分のもとから離れようとしていた。彼女が向かう先には危険が待ち受けていることだろう。レイアはそれを思うだけで心が締め付けられる。
かつて兄ルークは「君もいつかマスターになるかもしれないよ」なんて冗談交じりに言ったことがあった。でも、それがまさか自分にとって娘同然になるなんて予想だにしていなかった。
「ああ、ルーク。マスターになるのがこんなに辛いことだなんて。どうして教えてくれなかったの」(『スカイウォーカーの夜明け』ノベライズより)
ルークは肝心なことは何も教えてくれなかった。今もそう、なぜこの子のことを助けてあげないの?あの人ったら、なにをそんなによそよそしくしてるのだろう。それでいて、しきりに私をそっちに呼ぼうとしたりして。あのねルーク、まだよ。私はまだこっちでやらなきゃいけないことがあるの。おあいにくさま。あなたはそっちで大人しくしていてちょうだい。
レイアはルークのことを意地悪に思う。
いや、でもそれは違う。ルークは必要なものはちゃんと残してくれていた。現にレイアはこうしてマスターとしての務めを立派に果たしているじゃないか。
かつてこのエイジャンクロスの地でルークと一緒に過ごした“トレーニング”の記憶。そして、最後に残したジェダイ聖典とそこに書かれた直筆のメモ。偉大なジェダイマスターが残したレガシーはふたりの弟子にとって宝物だ。
まさに「必要なものは全てある」だ。

それにしても、ジェダイ見習いの娘とそれを見守る半人前の師。なんともヘンテコな凸凹コンビだ。親に捨てられた娘と子に捨てられた母。奇妙な結びつきだ。
TROSのユニークなところは、マスター・ルークが一貫して不在なことだろう。これは未公開カットを使用しているはずの故キャリー・フィッシャーが、頻繁にスクリーンに登場するのとは対照的だ。実に面白い。
一方、レイの中で渦巻く闇の素顔。これは『スカイウォーカーの夜明け』でカギとなるテーマだ。しかし、彼女はこのことをレイアには伝えられずにいた。
「ああ、マスター・スカイウォーカー。なぜ私の前に姿をみせてくれないの」
誰にも明かすことのできない秘密と葛藤。それでもルークなら…。少女レイはルークに必死の思いでSOSを送る。だが、答えが帰ってくることはない。
これがレイの苦しみと戸惑いに拍車をかける。レイを精神的にもう一押し、プレッシャーを与える。
なぜルークは現れないのか。どうして姿をみせようとしないのか。それはズバリ、これはレイのストーリーだからだ。この冒険はレイが乗り越えるべき試練だ。その恐怖に打ち勝ってこそ、真のヒーローになることができる。英雄の旅はときとして孤独なものなのだ。
それにマスター・ヨーダは「あの娘レイは本に書かれてあるものはすでに全部備えてる」と言った。レイはすでにジェダイに必要な資質をもっているのだ。ルークもそれは承知していた。だからこそベンの前で「私は最後のジェダイではない」と言い切ったのだ。
余談だが、レイに目覚める闇のビジョンはかつてのベンとパラレルな構図だ。母(師)レイアから巣立つのも同様だ。今回の三部作は一貫してレイとカイロ・レン(ベン)の運命が絡み合うストーリーだった。ふたりをフォースの兄妹(ダイアド)と見立てれば、なおさらドラマチックになる。
本当の自分を恐れないで
レイの旅立ちのとき、ふたりは別れ際にハグをする。そのときレイアが口にした「本当の自分を恐れないで」には深い意味がある。迷いを感じていたレイを繋ぎとめる言葉。昔ベンにしてやれなかった後悔の気持ち。そして、忘れてはいけない最も重要な視点は、レイア自身もシス暗黒卿の娘だったということだ。
子は親を選ぶことはできない。だがそれでも、自分の運命は自分で切り開くことができる。望めばヒーローにだってなれるのだ。レイアとルークがなによりの証拠だ。
レイ、あなたはあなたなの。誰もそれを邪魔できない。それを忘れないで。レイアはそう伝えていた。
映画終盤、舞台はオクトーの島に移り、そこでようやくマスター・ルークが姿をみせる。ルークは、レイアもレイの出自に気付いていたと話す。
「この世には血よりも強いものがある。恐怖に向き合え。それがジェダイの宿命だ。お前の宿命だ」
子供の頃、ずっと夢見ていたおとぎ話の世界。それが今、レイの手の中にあった。砂漠の農場で育ったルーク。砂漠のゴミ捨て場で育ったレイ。新旧ヒーローの運命が時代を超えて交錯する瞬間だ。

実はノベライズではここにもうひとつ面白い視点を加えている。
映画冒頭、過去のジェダイの声を聞こうと必死に集中するレイ。彼女はマスター・ルークに会いたくて仕方がなかった。それとはうってかわって、オクトーの島では今度はレイアに会いたくてしょうがないのだが、レイアが姿をみせることはない。…なんとも皮肉な運命だ。
エピローグのシーンに話を移そう。そう、つまりあれはその集大成なのだ。
全てが始まった地、ラーズ農場に降り立つ若きジェダイ・ナイト。そこで彼女はようやくふたりと再会を果たす。この世で一番大好きなレイアと、最も尊敬するマスター・ルーク。パズルのピースがついにそろった瞬間だ。
「この世には血より強いものがある」
ルークは父ダース・ベイダーの支配をはねのけ、アナキン・スカイウォーカーの魂を呼び戻した。レイアにとっても両親はオーガナ夫妻のみだ。生涯レイア・オーガナとして人生を貫いた。
レイもそうだ。血の支配に抗い、たったひとりで恐怖に立ち向かい、闇を打ち払った。そんなみなしごレイの前に姿をみせたルークとレイア。この絵をみれば説明は無用だろう。
レイは見知らぬ老婆から名前を尋ねられる。名前を聞かれたのは今作では二度目だ。姓を聞かれて戸惑うレイ。
そこにルークが優しくうながす。
「お前のものだ」
レイ・スカイウォーカー。孤児の少女はついに家族を得たのだ。
最後に
レイ(ジェダイ)、ポー(レジスタンス)、そして息子のベン。それぞれにとってのキーパーソンはレイアだ。旧作においてもファンはついついルークを中心に考えがちだが、スターウォーズの根底にあったのはレイア姫の冒険でもある。
以前明かされたルーカスのシークエル案では「レイアが選ばれし者」としてエンディングを迎えるものだったらしいが。さすが創造主。一般人とは理解度の次元が違うことが分かる。
レジスタンスを率い、レイを導き、ベンをすんでのところ踏みとどまらせた。シークエルトリロジーの中心にはレイアがいたのだ。こうして考えると、今回の三部作は結果的にルーカスのビジョンと近い内容となったことが分かる。意図的かあるいは偶然か、はたまたJJたちはルーカスのアウトラインを読み、TROS脚本製作時にはルーカスと話し合ってるからこそ引き寄せられていったのか。
真相は分からないが、終わってみれば万事綺麗に収まった感がある。
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