『スカイウォーカーの夜明け』小説の感想 ─ レイとカイロの協奏曲その2

前回の続き、後半戦です。

『スカイウォーカーの夜明け』小説の感想 ─ レイとカイロの協奏曲

そういえば前の記事を書いたのは「スターウォーズの日」だったので、「続きはまた今度」と言ってからもう一か月になるのか。申し訳ないです。最近なかなか腰が重くてね(笑)

今回もレイとカイロ・レンに焦点を当て、『スカイウォーカーの夜明け』ノベライズの感想を書いていきます。特にデススターのシーンはお気に入りでもあるのでそれを中心に、というかほとんどそれだけにテーマを絞って取り上げます。

ベンの転落

まずはデススターの冒頭の場面から。

レイはようやくウェイファインダーを入手できたが、そこで闇の誘惑に襲われてしまい、なんとか逃げ出すのが精一杯だった。

そこにカイロが姿を現す。

「なんてザマだ」と彼が言った。マスクのない素顔だ。なぜだろう、彼が自分の前でマスクを被ることはもうないだろうと、彼女はそんな気がしていた。

「俺の母に、自分はジェダイだと示したかったのだろう」彼の声から軽蔑心がにじみ出ていた。「だが、お前が証明したのは別のものだ。お前はもうあそこには戻れない。俺がそう出来ないのと同じように」

その言葉で彼女は目が覚める。彼は間違っている。彼女の闇の部分が、本当の自分を恐れないでとそう言った。だが、それはレイアも同じだ。レイアは知っていた。それでも自分を修行する道を選んだのだ。

カイロ・レンは母親のことを全く分かっていなかった。

「本当の自分を恐れないで」

レイアとダークレイはくしくも同じ言葉をレイに伝えていた。だが、その意味は全くの正反対だった。

『最後のジェダイ』の出来事以降、レイは自分の中で闇が強まっているのを感じ、その懸念がずっと付きまとっていた。その不安を突くかのようにダークレイは「闇こそがあなたの本当の姿」とほのめかす。しかし、それでもレイアは彼女の光を疑うことはなく、そこに希望を託していた。

このように、この言葉にはふたつの立場がせめぎ合う意味があった。

ところで「カイロ・レンは母親のことを全く分かっていなかった」とこの一文が唐突に出てきて思わず笑ってしまった。そう、カイロは母親のことも、レイのことも全く理解できていなかったのだ。それは直後のシーンにもよく表れている。

彼は一瞬、戸惑った様子をみせる。なぜ彼女はこの期に及んでもまだそれに抗うのか。それが驚きだった。

カイロ・レンが一瞬、ハッとみせるあの驚きの表情。あれは映画でも印象的だった。(映画館で観たときは意図が分からず、大げさなリアクションだなーと思ってしまった)

©Lucasfilm Ltd.

カイロの視点からすれば、レイはもう完落ち状態のはずだった。レイの反応は理解の範疇を超えていたのだ。このカイロ・レンの一方通行な感じは相変わらずと思えて仕方がなかった。

話は『フォースの覚醒』のスターキラーベースにまでさかのぼる。そこでカイロはこちらに加わるようレイを誘うのだが、彼女の力を侮ったことで、初戦は大火傷という結果に終わってしまう。

次作の『最後のジェダイ』では、スノークの王座の間でレイの両親に関する不都合な真実を口にして、自分だけが理解者であると伝える。いわば外堀を埋めるようなもので、レイを孤立させたうえで「シスもジェダイも全て過去のものだ。古い物は捨てて自分と共に新しい道を進もう」とレイに手を差し伸べた。

そして迎えた最終章。『スカイウォーカーの夜明け』でもカイロは再度、誘いに応じるようレイに迫った。もうこれで三度目だ。今回は秘められた出自にも触れ、ダークサイドこそがお前の本性だと、ある意味、ダメ押しのような迫り方をするのだが、それでもレイは首を縦に振ることはない。

ここまでくるとカイロ・レンには完全に理解不能の境地だった。

では、なぜ彼にはこれが理解できなかったのだろうか?これはカイロの置かれていた状況と精神状態とも関係している。

周囲の無理解。幼い頃から頭にささやかれ続けた邪悪な誘惑。自分は特別だという自惚れの気持ち。ダークサイドの罠。母レイアの不在。もう戻る場所はないとの諦めの心…。

おそらく、これらがカイロの精神に歪な影を落としていたのだろう。カイロはレイにかつての自身の姿を重ねていた。自分だけが唯一の理解者になれると考えている。そして、ふたりにとっての居場所がダークサイドだった。

これについてはコミック『The Rise of Kylo Ren』(チャールズ・ソウル著)でも少し触れられており、いつか機会があれば取り上げたい。

余談だが、チャールズ・ソウルはベンの転落の原因を「レイア不在の中で起きた悲劇」と表現していて、自分はこれがまさに一番ピッタリな説明だと感じている。

レイアはベンを正しい道に導くため、良かれと思ってルークのもとに預けたのだが、結果的にはそれが息子をさらに闇へと追いやってしまう。スノーク(=パルパティーン)がまいた種が少しずつベンの中で広がり始めていたのだ。もしかするとフォースにも影響を与え、ルークとレイアのビジョンにも陰りがあったのかもしれない。

ルークはある夜、意を決してベンの頭の中を探ろうとした。そこで目撃したのが自分の愛する弟子たちが殺される未来の光景だった(『最後のジェダイ』ノベライズより)。だが、これこそがダークサイドの罠だったのかもしれない。

©Lucasfilm Ltd.

ダークサイドの影がベンにまとわり付き、実際には存在しない闇を植え付けたか。あるいは、ルークに直接干渉し、偽の未来をみせたか…。これについては真相は闇の中だろう。しかし、不幸にしてルークが見た未来は現実のものとなってしまった。

就寝中の無防備な者を手にかけようとする姿は、かつてパルパティーンがプレイガスにしたことと重なるのだが、これも皇帝が描いた筋書きのひとつなのだろうか。いずれにせよ、ルークはその試練に耐えたが、同時にかけがえのない弟子たちを失うことになる。

「未来予知には常に危険がつきまとう」とはスターウォーズの常だが、その教訓が思い出される。

話は少し変わるが、『スカイウォーカーの夜明け』の内容をふまえた上でレイとカイロの関係を考えると、ひとつユニークな視点に気付くことができた。

幼い頃からダークサイドの標的となったベンとは対照的に、レイは砂漠のゴミ捨て場に置き去りにされはしたが、一応は両親の望み通り「平穏な生活」を送ることができた。これは見方を変えると、フォースの双子の片割れが妹のために全ての闇を受け入れた、とこのように捉えることもできると思うのだ。

…とまあ、ベンの転落劇についてはこの辺にして、さっさと先に進めることにする。

デススターの戦い

続いてデススターで繰り広げられたライトセーバーのバトルに話を移したい。

自分はこのシーンが大好きで、スターウォーズ史上でも一位、二位を争うくらいビジュアル的に素晴らしいバトルだったと思っている。

これはシークエル全体を通しても言えるのだが、「怒り」「誘惑」「生存本能」とこれらの感情がバトルの中で入り乱れ、精神のぶつかり合いが見事に描かれていた。荒れ狂う波に打たれながら、デススターの残骸で繰り広げられる死闘はまさにその集大成といえる。

J.J.エイブラムス監督は今作を一言で例えると“Desperate”(やぶれかぶれ)と答えていたのだが、これは『スカイウォーカーの夜明け』のレイとカイロの心境をよく表した言葉だ。

レイは「違う、レイアは私のことを理解してる。私はジェダイになる!」と感情的になり、我を忘れていた。自分の中で強まる闇を感じていたが、必死にそれをはねのけようとする。

レジスタンスの運命は自分の肩に掛かっているのだ。彼女もまた崖っぷちに立たされていた。これは仲間に内緒でスキマーを奪い、勝手にデススターに向かってしまうシーンからもよく見て取れるだろう。レイは自暴自棄になり、もう居ても立っても居られなかった。そして、自分の命もかえりみず、ただ前へと突き進んでいった。

一方、なんとしてもレイを仲間にしたいカイロ・レンだが、事は思い通りに運ぶことはなく、しびれを切らし「ウェイファインダーなんて握りつぶしてやる!エクセゴルに行きたいなら、俺と一緒に来るしかないぞ!」と実力行使に打って出た。

映画の描写でも明白なように、カイロは最初、攻撃する気はゼロでただレイの一振りを避けるのみだった。だが、これがかえってレイの神経を逆なでし、攻撃は徐々にヒートアップしていくのだ。やがてカイロは避けられなくなり、たまらずライトセーバーを起動する。

そして、ふたりのラストバトルが幕を開けた。

カイロもライトセーバーで応戦せざるを得なくなる。だが、ひとたびライトセーバーが交われば、すぐに攻撃の心地よさに気付く。シンバルを奏でるようにふたりのブレードがぶつかり合う。

レイの肩に伝わる強い衝撃。それに呼応する傷だらけの身体と唇。

もう何も考えなくていいんだ。彼がしたことも。自分が誰なのかも。

カイロが近づいてきた。フォースエネルギーで攻めてくる。彼女のこめかみ辺りがズキンズキンと痛み出す。それでも地面をしっかりと足で支えていた。

彼は直接、思念を送り込む。「お前のことは分かってる」

「いいえ、誰も」彼女がやり返す。

「だが、俺は分かる」

レイが叫び声を上げ、彼に飛び掛かる。

もはや余計な駆け引きはなく、本能のままに腕と身体を動かしていた。命のやり取りをしているこの瞬間だけは、頭にまとわりついていた疑念や迷いは解き放たれ、ある意味、ようやく自由になれたのだ。

ちなみに自分はあの「大波をジャンプする」シーンがお気に入りなのだが、小説を読むまで二つ目の大ジャンプの演出の意図に気付くことができなかった。

©Lucasfilm Ltd.

とてつもなく大きな波がふたりのもとに押し寄せていた。さらわれたらひとたまりもない大波だ。レイは戦いの最中、本能的に後方に大ジャンプして、これを回避する。

このときレイはカイロの姿を見失ってしまう。「さっきの波に飲まれたのだろうか?」と彼女はせわしなく辺りをキョロキョロと見回す。

そこにカイロが水しぶきを掻き分け、悠然と姿をみせる。彼はあの波に耐えていた。レイにとっては命の危険もあった大波だが、カイロはそれを避ける必要すらなかったのだ。

「俺はなんだって耐えてみせる」

彼の顔はそう物語っていた。ふたりの力の差が歴然となる場面だ。

これまでカイロは終始、レイにカウンターを合わせていた。師と弟子さながらの一風景なのだが、それもこのシーンを境に空気が一変する。レイはいよいよ自分の死を意識し始める。死の恐怖が頭をよぎる。

この勝負の結末は思いもかけない形で訪れた。

レイはカイロの手からライトセーバーを奪うと、それで彼を突き刺した。レイは勝ち誇り、まさに有頂天だ。しかし、そこから一気にどん底へと突き落とされる。

師であり、母のように慕っていたレイアだが、彼女が最後に選んだのは自分ではなく、目の前にいるカイロだった。レイアは息子を今でも愛していた。彼を許したのだ。最後の力を振り絞り、息子を光へと呼び戻そうとした。

心の拠り所であったレイアを失った衝撃。そして、その最愛の息子を自分は手にかけてしまったのだ。レイはその事実を前に、恐怖のあまり手が震えていた。

彼の頬が濡れている。どこからが波しぶきの終わりで、どこからが涙の始まりなのか。それは彼女にも分からなかった。

かつてケダモノとまで呼んだ敵が、力なく横たわっている。彼は最期のときを受け入れようとしていた。レイはどうしていいか分からなかった。

「レイアならどうする?」

レイはとっさにカイロの胸に手を伸ばす。彼を救うためなら、もう自分が死んだって構わない。全てを差し出す覚悟で傷を癒そうとする。

このヒーリングがエクセゴルのラストで大きな役割を演じるのは承知のとおりだろう。今こうして振り返ると、今作の大きなテーマは「継承」ではないかと思える。

レイがベンを癒し、ヒーリングの記憶を伝え、最後の土壇場では、今度はベンがその記憶を頼りに見よう見真似でレイの命を救おうとした。スカイウォーカーのレガシーセーバーとレイアのライトセーバー、彼らが示した「無私の精神」もそうだ。そして、映画のエピローグではレイはふたりのライトセーバーを埋葬し、師の姓を受け継ぐことを決めた。

実はエクセゴルでレイがフォースコネクションを発動するシーンでも「継承」が関わってくるのだが、これはまた別の記事で紹介することにしたい。

ベン・ソロの帰還

カイロ・レンは荒れ狂う波を眺めていた。自分の身にいったい何が起きたのか、彼には全く理解できなかった。さまざまな疑問が頭をよぎる。

ヒーリングのようなものが可能であることすら知らなかった。しかし、頭を悩ませていたのはそんなことではない。なぜレイは自分を治したのか?なぜそんなことをしたのだ?

なぜ母はこの期に及んでも彼のことを愛していたのか。

全てはスノークの嘘だ。全て嘘だった。

これまでずっと頭の中でささやき、彼を苦しめ続けていた声。

「彼らはお前のことなんてどうでもいい」「大切なのは新共和国だけだ」「大切なのはレジスタンスだ」

カイロはそれらが全て偽りだったことにようやく気付いた。全てが嘘だった。ずっとその事実から目を背けていただけだったのだ。

母は自分の命と引き換えに息子に届こうとした。レイも自分のリビングフォースを犠牲にしても彼の命を救おうとした。

ベンはジェダイにとって最も重要な「無私の精神」を目の当たりにしていた。誰かを救うためにフォースを使うなど、彼には想像すらつかなかったことだ。

自分の中にある光を消せなかったのは、ずっとそれが周りにあったからだ。レイの中にも、母の中にも、そして父の中にも。

ふたりの自己犠牲もいとわない無私のおこないを目にし、まるで霧が晴れるかのように頭を支配していた嘘のささやきが消え去り、真実の姿が見え始める。

ハン・ソロが姿を現すのはこのときだ。

残念ながらこのシーンの小説の描写は実にあっさりしたもので、特に映画に付け加えるような新たな心理描写も説明もない。ただ、重要シーンでもあるし、自分の捉え方もここで少し話したい。

劇中ではこのようなやり取りがあった。

カイロ「ただの記憶だ」
ハン「お前の記憶だ」

そう、ハンはベンの記憶が作り出した産物だ。おそらく、父と最後に会ったあのときまで時計の針を戻したかったのだろう。その思いが心のどこかにあったのかもしれない。くしくもレイのヒーリングによって、彼の顔の傷跡も元通りになるまで癒されていた。

©Lucasfilm Ltd.

ここで重要なのは、少なくともベンの頭の中では「父は自分を許すだろう」と思っていたことだ。これは言い換えれば「自分は父に愛されていた」ことを正面から認めることを意味する。父はずっと自分のそばにいて、手を伸ばせばすぐ届く距離にいたのだ。

長い間、ベンを支配していた闇は晴れ、光の部分に身をゆだねるためのターニングポイントだ。「ファースト・オーダーは闇から生まれた。だが、お前は違う」(『フォースの覚醒』冒頭より)とはロア・サン・テッカの言葉だが、あれがここで生きてくる。

ベンのセリフもスターキラーベースのときと同じものだ。

「やるべきことは分かってる。だけど、それをする強さがあるか分からない」

『フォースの覚醒』のときと同じセリフ、同じ構図だ。カイロの脆弱性が露わとなり、父に救いを求めていたあの場面がオーバーラップする。嘘偽りのない生身のベンが顔をみせる瞬間だ。

たが、あのときとはひとつ大きな違いがある。実際にはこの場にいるのはベンだけなのだ。ある意味、ハンが姿をみせた時点で彼の気持ちは決まっていたのかもしれない。

クロスガードのライトセーバーを投げ捨て、カイロ・レンも海へと消えた。このときベンの頭を流れていた思いは「レイならまだ間に合う!」とそれだけだった。劇中を通してレイを手に入れるべく邁進していたベンだが、今度は彼女を助けるためだけにひたすら突き進むのであった。

エクセゴル

デススターの所だけで書いていて力尽きたので、エクセゴルは印象的だったところだけを簡単に紹介したい。

長い間、ジャクーでひとりぼっちだったレイだが、その間もずっとフォースの片割れとつながっていたのだ。そのことに気付かなかっただけなのだ。ようやくそれを見つけた矢先、彼の命は奪われてしまった。

レイはまるで自分の半分が消えてしまったかのような心地だった。

そのとき彼女にある声が届く…。

ノベライズではたいてい映画では描かれなかった“小説独自のシーン”があるものだが、それがまさに次の箇所だろう。

レイは崩壊する闘技場から去るとき、ある声を耳にする。

フォースを通して彼女に声が届く。鮮明で、力強かった。

「いつもお前のそばにいる」ベンが言った。

彼女は微笑む。その事実に満たされていた。

「誰もいなくなってない」レイがそうつぶやく。

「いつもお前のそばにいる」
“I will always be with you”

「誰もいなくなってない」
“No one’s ever really gone”

両方とも前作でルークが口にしたセリフだ。

一応、小説ではこんなことがあったということだけを確認して、この記事を終えたいと思う。

最後に

今回書いていて思ったのだけど、カイロ・レンはほんとに良いキャラをしてたなーとしみじみ実感した。設定だけみれば「自己肯定感の低い青年」とプロファイルできそうなものだが、実際の画面上からは強さや怒りが全面に出ていて、特に弱さは感じなかった。これはまさにアダム・ドライバーの演技の賜物だろう。

一方のレイも、例えば『フォースの覚醒』で家の壁に両親の帰りを待つ日数を記していたシーンを思い返してほしい。孤児として育った寂しさと心の傷に意識を向ければ、彼女がどれほど居場所を欲していたのかそれがよく理解できるだろう。

家族の愛に飢えたストリートチルドレンの少女と、自ら家族を捨てた青年の構図だ。

シークエル三部作では、ふたりの綱引きにハン・ルーク・レイアが意図的に組み合わされていた。壊れたものを直し生計を立てていたレイが、最終的にスカイウォーカーの家族も修復したと考えると面白い。

ってな具合で、やっぱりカイロとレイがテーマだけあって記事も少々長くなってしまった。多分次の感想はレイアかパルパティーンかな?そちらは印象に残った箇所だけを短くまとめるくらいにしようと思う。

あと前回コメントくれた方、ありがとうございます。

それじゃ、そんな感じで!

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11 thoughts to “『スカイウォーカーの夜明け』小説の感想 ─ レイとカイロの協奏曲その2”

  1. 映画を補完するに最高の内容のようですね!
    映画は本当に駆け足だったので細かい描写がどうしてもね…
    それでもレンに感情移入しちゃって不覚にもボロ泣きしてしまいましたがw
    翻訳版の出版が待ちきれません!

    1. むっちゃ補完してくれましたよ!

      今振り返ってみると、ハンとレイアの息子がヴィランでなおかつアンチヒーローというのが素晴らしかったと思います。

  2. 続きの記事楽しみにしてました。アダム・ドライバーの演技は驚異的ですよね。正直「最後のジェダイ」では、羅生門スタイルの寝こみを襲うシーンだけで、レンとルークがここに至った経緯はそれぞれが考えてと言われてるみたいで感情移入が難しかったんです。それでもシークエルを通してみるとアダムの演技力が、闇から光への帰還といった点を見事に表現できてるんですよね。(デイジーの演技も負けていないと思います。)

    1. デイジーも凄いですよね。オーディションのときに百発百中で泣いてみせたという逸話があるくらい、本当に感情が豊か。

      これは記事で書かなかったのだけど、小説では少なくとも8回泣いてるんですよ。それで「そういえば映画でもシリーズ通してかなり涙流してたなー」と思い出した。

      キャリー・フィッシャーが冗談言った直後でも、カメラがひとたび回れば泣いてみせたというから驚き。

    1. 俺もたまに読み返してますよ。良いこと書いてあるなーみたいな感じで(笑)

  3. 小説版、買ってみようかなと思いました
    アダムドライバー演じるカイロレン、Ep7公開当時は色々言われてましたが自分の中でベイダーと並ぶキャラになりましたね。

    1. 邦訳版は8月みたいですね。

      自分もカイロ・レン大好きです。シークエルを象徴するキャラになってくれた。

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